今日は日曜日。お店はお休み。
日曜は月に2回朝ごはんマフィンをやっているので
何もない日曜は久々。
天気がいいので家族を連れて勝どきのお肉屋さんへ。
その後、近くの川沿いを散歩。
何にもないマンションとビル街。
そんな最中目の前に現れたスケーター。
最近お店の近くでもちらほら見ていて、あぁストリートでスケボーするの
また流行り出したのかななんて嬉しかったんだけど。
目の前に現れたスケーター、カメラマン二人を引き連れて撮影してる。
こんな状況て、なかなかお目にかかれない。
20年以上前に、中野のスケーターがとにかくいつでも撮りまくっていたのを思い出した。
私はスケボーが大好き。
自分はやらないんだけど、スケーターとスケートカルチャーが大好き。
私が中学生だった1992年頃。スケボーは大流行していた。
地元のあちこちでスケボーの「カチャン」って音はしてたし、秋葉原にたくさんのスケーターが集合してた。
当時の私の一つ上の彼氏もスケーターだった。
その彼は細身のリーバイスのコーディロイパンツを履いてスケートをしてるのが
すごくかっこよかった。
スケーターにはいろんなスタイルの人がいて、それは滑り方とか滑る場所とか服装、髪型、聞いてる音楽なんかで滲み出ているものだった。
彼らのそのスタイルのお手本は海外のスケートビデオ。
自分の好きなスケーターのパートを何度も何度も巻き戻ししてテープが擦り切れるほど見ていた。
今の技がかっこいいだのこの着方がかっこいいだの立ち振る舞いがかっこいいだの
あーだこーだ言ってる彼らを分析しながら見ているのが何より私は好きだった。
そんな変なポジションにいるスケーターの彼女は私以外にも一定数いたと思う。
何もしないで、ただただ公園や溜まり場に座っている女の子。
当時スケーターってお金がないので、デートは大概男友達が集まってる場所だった
というのも否めない。
イヤイヤ連れてこられて眺めている女の子もたくさんいた。
私は好き好んで座り込んでいた。
NYに一人で遊びに行った時も、偶然日本人スケーターとアパートが一緒だった。
彼は留学生で、滞在2年目あたりだったから、NYのスケートスポットを熟知してた。
すぐに仲良くなっていろんなスケーターを紹介してくれて、仲間に入れてくれた。
当時20歳前半。
大人になってもまだスケーターを眺めていた。
当時のシュプリームの店員にアキラくんという人がいて、何度か話をした。
すごく嬉しかった。
現地のクラブに行ってスケーターと話していたときに
何でそんなにスケーターが好きなのか聞かれたことがあった。
え?確かに何でだろ?
多分、彼らはスケートを通してすごくクリエイティブでアートを作っているからだ。
絵も描くし、ビデオも撮る。写真もやるし、ファッションも。
街中をスケートする事で情熱とか怒りとか癒しとかそういう体験や表現もする。
お酒も飲むし、マナーが悪い奴もいる。金銭トラブルもあるし
街中を滑るから揉め事も絶えない。
だけど、毎日どこかに何となく集まっていて何となく散っていく。
コミュニティーの形成とクリエイティブと破壊。
全てにおいて魅力的だった。
特にNYのスケーターはそのレベルが高かった。良し悪し含めてw
あれから時を経て、スケートはオリンピック競技になった。
もちろんテレビで観戦した。
日本人選手の素晴らしい活躍。
きっとアングラなスケート、ストリートなスケートを楽しんだ私たち世代の親御さんたちが
子供にスケートボードを与えてスケートの楽しさを伝えたのだろうと思った。
素晴らしい橋渡しがこの活躍につながったのかなと
嬉しさと、私が知っているスケートがどこか遠くへ行ってしまった寂しさを感じた。
スケートは進化し、私は退化したのだろう。
そして今日昼下がり。
私の目の前に現れたスケート青年は世界トップクラスのスケーターだった。
その青年はストリートでフィルマーと撮影をしていた。
こんな状況て、なかなかお目にかかれない。
そう、私が知ってるあの空気。
当時のようなあの独特の時間の流れ。
あの感覚を呼び覚ましてくれた。
私もスケーターのあのアート感の仲間に入りたくて
Tシャツを作ったり絵を描いたり、グラフィックをやったり。
最後の技を待ち構えていたフィルマーの方の横で一緒になって
最高の技が現れるまで座り込んでいた。
嬉しくなってしまった私は
その方にたくさん話しかけてしまった。
だけどこの上ない幸せな時間だった。
そしてその帰り道、私がやっているゲリラマフィン販売も
スケートのストリート感にそっくりだなと感じて
すごく嬉しかった。
お金を払いたいくらいいい時間でした。
ありがとうございました、瀬尻さん。
そしてフィルマーの方々。
美しいスケートはいつまでも眺めていられる。。。
ストリートて最高だ!
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